■10分ランチフィットネス®2級インストラクター
看護師資格をお持ちの中村さんは主に医療的ケア児さんに携わる仕事をなさっています。
医療的ケアとは、病院以外の場所で痰の吸引、経管栄養、酸素吸入など医療的ケア児さんが生活していくうえで必要な医療ケアのことを言います。
看護師以外にも医療的ケア児等コーディネーターや医療的ケア教員講習資格、スポーツ障がい者指導員、児童指導員任用等 多くの資格などお持ちです。幅広い方に、からだほぐしの運動の楽しさを伝えていきたいとエネルギーに満ち溢れています。
ここで性差を少し医学的な視点から考えてみたいと思います。まずは受精時に生物学的な性は決定し男女ができますが、分化して行った個体においてはあらゆる面で大きな違いが認められます。
男性はY染色体により精巣が形成されますが、12歳頃には射精(精通)が始まり、女性は同時期に最初の月経(初潮)が発来します。その後、時期が来れば男性は性交により精巣で作られた精子を女性の膣内に射精して、タイミングが良ければ妊娠が成立します。
鞭毛(しっぽ)を持った精子は膣内から子宮頸管・子宮内腔・卵管内腔を泳いで上行し、卵管膨大部で卵巣から排卵されイソギンチャク様の卵管采で捕獲された卵子と受精。そして、受精卵は卵管から子宮腔内に卵管運動により逆行して運ばれ、肥厚した子宮内膜に着床し妊娠が成立します。これからの過程では、胎児の保育器となる子宮が重要な役割を果たしますので、この臓器について触れておきたいと思います。
子宮は平滑筋の袋であり、内腔は内膜で覆われています。ヒトには3種類(横紋筋・心筋・平滑筋)の筋肉があり、それぞれ臓器を形成していますが、動きの制御は異なり、横紋(骨格)筋は神経系で随意に動きますが、心臓は刺激伝道系、平滑筋には自動能があり不随意筋です。平滑筋臓器は多く、胃や腸などの消化管、膀胱・尿管、気管、血管、そして子宮や卵管などです。
それぞれ機能に応じて収縮・弛緩を繰り返し、食物、尿、空気、血液などを移動させますが、子宮においては胎児、卵管では受精卵です。いわゆる陣痛は出産時の主役の一つですが、実は子宮収縮なのです。この力で胎児は体外へ押し出されます。
妊娠期間はほぼ10か月(280日)ですので、大変長い時間経過で、未妊娠時には50g程(鶏卵大)であったものが、胎児の成長に応じて妊娠末期には1000g程に肥大します。陣痛は妊娠期間中は抑制されていますが、児が成熟すると自然に発来して分娩となります。産後は強く収縮し、一か月もすればほぼ妊娠前のサイズに戻ります。陣痛発来については「潮の満ち干」との関係など、昔から人々の大きな関心事でしたが、子宮は人体では他に見られないダイナミックな臓器なのです。
子宮や卵管の生殖臓器としての役割は受精、妊娠の維持、分娩ですが、その目的のために、女性には大きな肉体的な変化が生じ、日常生活にも大きな影響を及ぼすことになります。
女性の一生は卵巣機能に依存しており、卵巣では200万個程の再生しない原始卵胞が毎月1個の排卵に300個が準備され、月経1日目には20個に、更に月経5日目に1個の卵胞が選ばれ(優位卵胞)排卵に向かいます。この卵の成熟や排卵のメカニズムは、脳幹の視床下部・下垂体の卵巣刺激ホルモンによって毎月制御され妊娠に備えています。したがって、タイミング良く排卵前後に性交すれば、当然、妊娠の確立は高くなるのです。
卵胞ホルモン(エストロゲン)や黄体ホルモン(プロゲステロン)などの女性ホルモンは子宮内膜にも作用していて、排卵後に内膜は著しく肥厚し、着床の環境を整えています。女性において、排卵される卵子がなくなる時が閉経で、卵巣内の原始卵胞は数万個にまで減少しています。ヒトの一生を考えますと、女性は男性に比し変動幅が大きく、明確な小児期・思春期(初経12歳頃)・性成熟期(妊娠・出産)・更年期・閉経期・老年期があるのです。
一般社団法人福岡県社会保険医療協会
理事長
特定非営利法人福岡市レクリエーション協会
会長
福岡大学医学部 名誉教授
瓦林達比古
近年、わが国では少子高齢化が急速に進行し、総人口も労働力人口も減少していますので、以前よりずっと女性の社会進出が進んで共働きも当たり前、女性の起業家も増えています。さらに、性別による役割分担などの固定観念にとらわれず、誰もが平等で公平に行動できるようにする、ジェンダーフリーの考えが浸透してきました。
しかしながら、男性と女性には生物学的に大きな違いがあり、生殖(Reproduction:再生)生理学的な意味合いからすれば、親から子へと世代を繋ぐためにはその違いが必須です。多くの動物種に含まれるヒトには、必ず尽きる「個のいのち」と、世代を繋ぐことで維持される「種のいのち」があるのです。種が消滅すれば個は存在しません。この大原則は昔から変わりませんが、わが国では個人の寿命は延びていますが、未来を担う子供の数は激減している、それが少子高齢化なのです。
私は「団塊の世代」(昭和22~24年)の生まれですが、この3年間に毎年270万人が出生し、約800万人の人口の集団が誕生しました。ところが現在では、2019年から年間出生数は80万人台にまで減少し、少数の若者が多くの老人を支えなければならない超高齢社会が到来しました。少子化の背景には、未婚率の増加や晩婚化がありますが、結婚しても子供を持たない夫婦も増えています。価値観の多様化や経済的な理由も大きいと思いますが、根本的には男女ともに性差と世代を繋ぐ意味の理解不足が関係していると感じています。
私は産婦人科の医師ですが、毎月定期的に生じる排卵や月経など、自分の心身の変化の背景を理解していない女性の多さに危惧を抱いてきました。これは、わが国の幼少時からの教育に問題があるのかもしれません。男女共に、妊娠・出産・育児における双方の性の違いを医学的かつ客観的に理解し、改めて「種のいのち」や「父性と母性」の意義に思いを馳せる必要があると考えています。
そこで、まずは染色体から。
性別は性染色体で決まります。ヒトには23対、46本の染色体があり、44本の常染色体(以下常)が多くの遺伝情報を伝え、X、Yの性染色体(以下性)で性が決定されます。女性は常44本と性X・X、男性はそれぞれ44本とX・Yです。受精は卵子と精子の結合によって成立しますが、配偶子(卵子、精子)の染色体は半分に減数分裂していて、卵子が常22本と性X、精子が常22本と性はXかY。つまり、Xを持った精子とYを持った精子のどちらが偶然に卵子に結合するかで生まれる赤ちゃんの性が決定されるのです。
Y染色体には精巣決定遺伝子が存在し、形成された精巣から分泌される男性ホルモン(テストステロン)により男性(性染色体XY)に分化し、一方、X精子の受精卵からは卵巣が形成され、分泌される女性ホルモン(エストロゲン・プロゲステロン)によって女性(XX)に分化します。この過程が基本的な性差の始まりです。XはYよりはるかに大きく重く、遺伝情報も多いと思われますので、女性は長命で概して強いのも納得できます。
一般社団法人福岡県社会保険医療協会
理事長
特定非営利法人福岡市レクリエーション協会
会長
福岡大学医学部 名誉教授
瓦林達比古
「まちづくり」の近年の傾向として、地域経済の振興(狭義の地域活性化)が強調される機会が増えてきました。60年代の高度経済成長期を経て生じた地域格差からその傾向が強化されていくわけですが、詳細は市川氏の論考(2001) [1] に整理されていますので、関心のある方は読んでみてください。この2001年以降は、さらなる人口減少社会を迎え、第二次安倍内閣により推進された「地方創生」が競争の論理を肉付けし、分かりやすい政策で言うと「ふるさと納税」も、結果的に自治体間の表層的な競争を促してきた(促すことになってしまった)と言えるでしょう。
一方で、「まちづくり」に地域経済の振興が含意するに至った理由は、市川氏が指摘する文脈だけではありません。例えばそのひとつは「中心市街地のまちづくり」です。職住分離が進んだ1970年代以降、中心市街地の空洞化が進み、商店街の活性化等が模索されていきます。そして1998年に「中心市街地活性化法」が制定され、関連法である「大店立地法」「都市計画法」を含めた3つの法律は、地域に応じた一体的な「まちづくり」に取り組むことを趣旨として「まちづくり三法」と称されることになります。その結果、多様な意味を含むはずの「まちづくり」の「まち」が、中心市街地および都心部に最適化された「街(まち)」を前提に語られる場面が増えてきました。自治体の財政難は、バブル崩壊やリーマンショック等の社会背景が導いた面も確かにありますが、想定可能な人口減少社会への備えを怠り、バブル期のバイアスを引きずりながら正当化してきた、読みの甘い公共事業の反動が大きく影響しています。そうした従来までの(中心市街地に限らない)「まち」の事業マネジメントのオルタナティブを求める姿勢が「街」の論理を拡大させている面もあるのでしょう。一方で「まちづくり」に経営的観点が不可欠なのは自明です。その上で、現場の眼差しをアップデートする必要を感じています。なぜなら、特に現場レベルにおいて、解像度の低い経営概念に市民の存在価値が見過ごされる局面を散見するからです(例えば単純な受益者負担のサービス構造のみが想定され、生活保護をはじめとした公的扶助の意義が共有されないような)。では、これからの「まちづくり」のヒントはどこにあるのでしょう?幾つかの視点はありますが、今回はそのひとつ、「コミュニティ・デザイン」から見出してみましょう。
近年広がりを見せてきたコミュニティ・デザインの一般的な理解は、Artwords[2]で書かれている内容に沿っている気はします。より正確には、2010年にリノベーションされたマルヤガーデンズ(鹿児島市)での仕事において、山崎氏が「コミュニティ・デザイン」という言葉を用い、今まで取り組んでこられた実践を文脈化し、提起されたことで広がっていったと僕は記憶しています。一方で、ここには触れられていないコミュニティ・デザインの系譜がありますので、今回はそこに着目してみます。
例えば僕の手元には、1976年に発行された建築雑誌「建築文化 Vol.31」があります。その特集は「コミュニティ・デザイン」です。また、1977年に発行された建築雑誌「PROCESS: Architecture No.3(以下、P.A)」もあります。この特集も「住民参加のコミュニティ・デザイン」です。つまり、前回のコラムで触れた「コミュニティ」が国内に広がる1969年以降に「デザイン」と結びついた概念提起が、1970年代にすでに見られます。ちなみに「建築文化」の「コミュニティ」は、一定の地理的範囲にある居住環境を指し、「デザイン」は物的環境の整備を指す狭義の概念として用いられています。宅地よりも広いスケールの居住環境に対して「コミュニティ」を重ねたものであり、こうした意味付けは前回コラムで紹介した「コミュニティ」に通じる定義であり、建築•都市計画分野では現代でも見られるベーシックな用法です。
一方、P.A.は、アメリカで60年代から実践されてきたコミュニティ・デザインの特集です。編集を担当した張清獄氏は「デザイン・プロセスの正しい意味、これは建築家やデザイナーの間で常に誤って受け取られている。彼らは自己流にそれを解釈し、『個人的』アプローチということでそれを正当化することが多い。正しい意味のデザイン・プロセスを少しでも理解するために、この特集号ではコミュニティ全体がデザイナーとしてデザイン・プロセスに参加した例を扱っている」とし、さらに建築家であり、アメリカの第3代大統領であるトーマス・ジェファーソンの以下の言葉を引用しています。「社会の最終的な権力、その安全な保管場所としては、大衆以外に私は知らない。もし、大衆が健全な判断力をもって自分たちの力を行使できるほどに啓蒙されていないと思われるなら、その救済方法は大衆の判断力をとりあげてしまうことではなく、彼らの判断力を生かすことである」。45年前に示されたこうした問題提起を、新鮮に感じる人は少なくないはずです。
1960年前後のアメリカの都市開発は、所得や人種に纏わる差別を含んだものでした。そのアンチテーゼとして、アメリカの都市プランナー:ポール・ダヴィドフらにより「アドボカシー・プランニング」が提唱されます。低所得者層等のマイノリティーの声を聴き(つまり、社会的弱者の意見表明の権利を保障し)、そこを起点にコミュニティと共にかたちづくるプランニングです。そのアドボカシー・プランニングを基調にして展開したデザイン手法こそが、コミュニティ・デザインです。そしてその展開は、日本において「まちづくり」が提起された時期と時を同じくします。本記事は字数が限られていますので、詳細を知りたい方は、ランドルフ・T. ヘスター、土肥 真人(1997)「まちづくりの方法と技術―コミュニティー・デザイン・プライマー」をおすすめします。その表紙には「『公正な世界を創りたいと望んでいる人々』に国境はない」「『まちづくり』に関わろうとする人を励まし、勇気づける本」とあります。つまり、エンパワメントを基調にした「ソーシャル・ワーク(あるいはコミュニティ・オーガニゼーション)」と近しい概念であることに、気づいた人もいるのではないでしょうか。
「まちづくり」は、本書が書かれた90年代には想像できなかった程、オンライン・コミュニティの浸透と併せて、保健医療や福祉、アート等、市民の暮らしに関わる全ての領域を包摂する概念として用いられています。また、今回は書ききれませんでしたが、70年〜80年代のアメリカにおいて、アドボカシー・プランニングや市民参加が大きく後退していく局面もあります。しかし、多様な様相を帯びている現代だからこそ、コミュニティ・デザイン、ひいては「まちづくり」が目指してきた「コミュニティと共に公正な世界を創る」プリミティブな姿勢を改めて参照することに意味はあるはずです。その上で、現代に蓄積されてきた連帯と共生の叡智を重ねたい、そう思うのです。
[1] 市川虎彦(2001)「まちづくり論の陥穽 : 地域自立の論理から自治体間競争の論理へ」
松山大学論集 13 (1), 157-175
[2] Artwords(アートワード)|コミュニティデザイン:https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3
九州大学 専任講師
福祉とデザイン 理事
社会福祉士
田北雅裕 TAKITA Masahiro
「市民の言葉」として多様な意味を有する「まちづくり」は、まずは、相手がどのような意味で用いているかを理解することが肝要です。今回は、学生が市役所の職員とやりとりしたケースから「まちづくり」の捉え方を深めてみたいと思います。
【例1】A市の「まちづくり協議会」を調査したくて「まちづくり推進課」に連絡したら「コミュニティ推進課」が窓口だと教えてもらった。
もうひとつ、似たような例を見てみましょう。
【例2】B市の「協働推進課」の方に町内会の課題を尋ねたら「まちづくりは『地域コミュニティ課』が担当なので、確認してみます」と言われた。
2つのケースとも行政の職員の方であれば腑に落ちるかもしれません。しかし、学生にとっては謎です。
まず、【例1】の「まちづくり推進課」は、土地区画整理事業や地区計画などを担当している部署でした。「都市建設部」の中の「まちづくり推進課」だったんですね。前回「まちづくり」はそもそも都市計画の分野から拡がった言葉であると紹介しました。その文脈からの「まちづくり」です。大学の研究者でも「まちづくり」を教えている方は、都市計画・開発、公共インフラの整備を専門としている場合が多いです。ディシプリンには学術的な安定性が求められますから、「まちづくり」の現場での意味が多様であったとしても、そういう傾向が強くなるのです。
【例2】は、さらに分かりにくいかもしれません。協働推進課は、市民活動やNPOとの協働、中間支援等を担当しています。ここでは、こうした営みを「市民団体活動」としておきましょう。「市民団体活動」と「町内会や自治会等の活動(地縁団体活動、としましょう)」が別の部署に分かれていて、かつ、後者を「まちづくり」と呼び慣わしているケースです。こうした背景について、さらに深めてみます。
2つのケースに共通しているのは「コミュニティ」という言葉です。国内で「コミュニティ」の施策が推進され始めた時代は「まちづくり」が使われ始めた時代と重なっています。つまり、特に「行政」においては「コミュニティ」の活動が概ね「まちづくり」と解される根拠のひとつが、その時代性にもあります。
「コミュニティ」が国(旧自治省)の施策として提唱されたのは、1969年です。経済優先の国土づくりの結果生じた地域課題に対応すべく、従来から農村部に根付いていた「村落共同体」や都市部に見られた「町内会」等の伝統的な地縁団体と異なる「市民としての自主性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」[1]として「コミュニティ」づくりが目指されました。
ちなみに「町内会」等は戦前から存在していましたが、戦時中は行政の末端組織として、国家による戦時宣伝(プロパガンダ)を担いました。その結果、戦後、GHQにより結成が禁じられます。しかし、1952年のサンフランシスコ講和条約にてこの政令は失効し、再び「町内会」等が復活することになります。その際、戦時の反省から、行政との分離が図られ、自主的な自治組織としての運営が目指されました。しかし実質的には、行政の末端・補助的機能を併せ持った組織として現在に至ります。
1969年から展開した「コミュニティ」施策は、1980年代まで活発に続きます。バブル景気にも背中を押され、コミュニティ・センター等のハード整備に一定の成果を残します。しかし、当初目指された「町内会」等に代わる新たな「コミュニティ」が形づくられたかというと、そうでもありません。実質的には、高度経済成長期を経て弱体化した「町内会」等の地縁団体が「コミュニティ」として再編され、地域の「まちづくり主体」として位置付けられたケースが少なくありません。一般的に行政での「コミュニティ推進課」や「地域コミュニティ課」等の部署は、この時期から続く「コミュニティ」施策を下敷きにしています。「まちづくり」という言葉が醸し出す行政の関与と地縁のイメージには、こうした意味合いもあるのです。
さて、1990年代前半にはバブルが崩壊します。国や自治体の財政が厳しくなる中で、コミュニティ施策もシュリンクしていき、コミュニティ組織の形骸化が見られる一方で「コミュニティ」の役割が、より一層必要な時代となります。そんな中、阪神淡路大震災(1995年)により、地縁を越えたボランティアの意義が見出され、NPO法(1998年)の制定に結実し、「市民団体活動」が拡がっていきます。その後「まちづくり協議会」等により、こうした「市民活動団体」の取り込みが目指されますが、【例2】のように「市民活動団体」と「地縁活動団体」との区別が維持されているケースがほとんどです。
また、時を同じくしたエポックメイキングな出来事と言えば、インターネットです。インターネットの拡がりは「コミュニティ」にも大きな影響を与えます。従来までは、地縁に関係なく関心でつながる機能的な人間関係は「アソシエーション」あるいは「テーマコミュニティ」と称され、地縁を前提とした「コミュニティ」と区別されていました。しかし、2000年始めくらいからインターネット上で「コミュニティ」という呼称が拡がっていきます。そうした傾向を踏まえ、従来からの「コミュニティ」は、冒頭に「地域」と付して、現代では「地域コミュニティ」と称されるようになりました。 現代における「まちづくり」そして「コミュニティ」の意味は、その後の「新しい公共」や「まちづくり三法」、「地方創生」の展開等にも影響を受けますが、そのあたりは、次回にお話しましょう。
[1] 国民生活審議会調査部会(1969)「コミュニティ〜生活の場における人間性の回復〜」
九州大学 専任講師
福祉とデザイン 理事
社会福祉士
田北雅裕 TAKITA Masahiro
一般社団法人10分ランチフィットネス協会
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