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2024.2.10
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【コラム】第2回ウェルビーイング〜幸せと健康と運動と。〜

【コラム】第2回ウェルビーイング〜幸せと健康と運動と。〜

第2回:ウェルビーイングを測ってみよう

●精神的ウェルビーイングとは

精神的(Mental)なウェルビーイングに関しては、前野らによる研究により、幸せな心の在り方は「やってみよう因子(自己実現と成長)」「ありがとう因子(つながりと感謝)」「なんとかなる因子(前向きと楽観)」「ありのままに因子(独立と自分らしさ)」の4つの因子に分けられることが明らかにされました。数多くある幸せな心の在り方を、ざっくりと言うと、この4要素に集約されたということです。(統計的には因子分析という手法により)。これらの要素は、日常生活の中で意識的に取り入れることで、自己の精神的なウェルビーイングを高めることができるとされています。例えば、「やってみよう」という心の姿勢は、新しいことへの挑戦や主体性、学習に対する意欲を生み出し、人生に対する満足度を高めるでしょう。「ありがとう」という感謝の気持ちは、他者への感謝だけでなく、自然や社会、現状に対する感謝を意識することで、ポジティブな感情を増加させます。「なんとかなる」という楽観的な考え方は、困難に直面したときにも前向きな態度を保ち、ストレスの影響を和らげる効果があります。そして、「ありのままに」という受容は、自分自身や周りの人々をそのまま受け入れることで、心の平和を保つのに役立ちます。

●ウェルビーイングを測る

ウェルビーイングへの道は、健康やダイエットに対するアプローチと似ています。健康を求めるならば、まずは健康診断から。ダイエットを志すなら、体重計に乗って現状の把握を。つまり、ウェルビーイングを高める旅も、自己理解から始まるのです。

自らの幸福度を測る「Well-Being Circle」のようなツールは、まさに現代人にとって必要な道具。月日が流れる中で、私たちはしばしば自分自身のことを見失いがちです。しかし、このような自己評価ツールを定期的に利用することで、心の健康状態をチェックし、自己改善への一歩を踏み出すことができるのです。

https://well-being-circle.com/

ウェルビーイングの高め方は、単にポジティブな思考を持つことだけではありません。それは、生活の中での小さな習慣や、日々の選択に意識を向けることです。自分自身と向き合い、自己の幸せの状態を深く理解すること。そして、その理解を基に、生活の質を向上させる具体的なステップを踏むことが大切です。 健康診断が体の不調を早期に発見し、治療を促すのと同じく、ウェルビーイングの診断は心の不調を知らせ、改善へと導くランプのようなもの。幸せとは、遠い山の頂ではなく、日々の小さな積み重ねの中に存在するのです。自己評価を通じて、自分自身の幸せを形作る要素を明確にし、それを育て、守り、大切にすること。これが、ウェルビーイングを高め、充実した日々を送る秘訣なのです。


太田雄介氏
株式会社はぴテックCEO 兼 CHO(ハピネス)
慶應義塾大学 システムデザイン・マネジメント研究所 研究員
一般社団法人ウェルビーイングデザイン 理事

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2023.10.10
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【コラム】第3回 私と運動の関わり ③

【コラム】第3回 私と運動の関わり ③

 運動の降圧効果とその機序は確認出来たが、運動を中止すると血圧は1ケ月後には元に戻った(本山ら1998)。つまり運動も薬同様に降圧はするが、高血圧の根絶も出来ていなかったので原因療法ではなかった。

 私は本態性高血圧の研究にRA系から入門したが、RA系は実は先祖が3~4億年前に海から陸上の無塩生活に移る際、陸上での食塩不足を補う為の体内食塩リサイクル装置として天に授かった装置だった事を知って驚いた。自然界の陸上動物達が今でも無塩下に正常血圧で生存出来ているのはRA系のお陰である。食塩過剰の現代人は全員RA系であり、食塩過剰の日本人は運動の脱塩利尿効果も白人より大きい(清永ら1985)。

 高血圧と反対の本態性低血圧のRA系(今川ら1982)には一寸驚いたが、恐らく多くの食塩貯留性遺伝子が進化の過程で退化し、その分をRA系が代償していると解釈される。

 要するに人の血圧は食塩貯留性遺伝子の土台の上に、各人各様の生活習慣が重なり千差万別となる。生存上必須の栄養素(塩・糖・脂など)は美味で摂取を誘うが、天意を無視して美味を貪る者には媚薬となり生活習慣病を招く。反対に食塩摂取が少ない程、血圧は低いし(Stamler 1988)、長寿する(米国生命保険400万人集計/1935-1954)。人はアルコール分解酵素の強弱で上戸~下戸に生まれるが、アルコール無しには誰も酔わない、と同様に無塩下では本態性高血圧も無い(Oliverら1975)。私は定年退職までの研究成果を歴史にも照らして “本態性高血圧の元凶=食塩”との結論に到達した。以来 ①に減塩、②に運動、③に薬、と謳歌している。

 運動の降圧効果は対症療法でも、副作用では降圧薬とは正反対に強力な有益効果が広範囲に及んでいる。

先ず動脈硬化関係では脂質異常の改善(Brairら1992)・特にHDL(善玉コレステロール)(佐々木ら1998)、インスリン感受性低下の改善(Schwartzら1991)・糖尿病の予防・加齢昇圧度(沢田ら2003)、肥満・内臓脂肪の優先(Schwartzら1991)等々。その様な動脈硬化の過程をhomocysteine(=動脈硬化促進作用)が生化学的に手伝うが、運動はそれを下流のhomocysteine(→動脈硬化)に変え、更に下流でタウリン(脱塩利尿作用)を齎す (田辺ら1989)。

 動脈硬化予防以外の効果も多岐に渡り、特に癌の予防効果にはまさかと驚いた(沢田ら、2003)。認知症も或る程度予防する報告(Laurinら2001)が相次いでいる。胆石症でも著明な予防結果が全米ナースの統計で示されたし(Leitzmannら1999)、一般高齢者の余命すら3倍も伸ばした(Hakimら1998)。以上は私の古い情報で申し訳ないが、他にも世界中で益々多くの朗報が溢れている。 

 ところで私の運動は水泳に始まったが、故 木原光知子さん(元オリンピック選手)のコーチでクロ―ルが得意になった。職務合間のプールから、時には内外の海(石垣島・ヌメア等)での石鯛子魚との戯れなど生涯忘れ難い。年間目標365km、実績は半分以下の連続に重大決心し、辛うじて目標を2回は達成出来たが、これはやはり無謀だった。水泳(特にスキューバダイビング)は浮力で骨を脆くする事を気にしていた矢先、67歳時に脚立から転落して初骨折の激痛体験に「やっぱり!」と、同時に「やっと!」と頷かされた(新米医師の頃から患者の苦痛を実体験しておきたい為の骨折願望が、定年も近い頃にやっと!)。翌68才からは歩行や登山に転じて日本100名山の半分を84才(2013年)の御嶽山踏破で終えた。1年後だったら噴火と共に天まで登り詰めたかも? 以後は細々乍ら水泳やエルゴメーターで人生の最終コースをうろついている 。

  「健康の維持には努力を惜しんではならない。安静時には生体の熱は衰え体内に余分な物が生じる。運動で熱が燃焼し余分な物すべてが放出される。最高の質と量の食事も運動の効果には敵わない。運動は多くの間違った健康法の弊害を排除してくれる」 (ヒポクラテス420BC)。 

国際高血圧学会名誉会長

福岡大学医学部名誉教授

九州大学医学部卒業

荒川規矩男

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2023.8.10
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【コラム】第2回 私と運動の関わり ②

【コラム】第2回 私と運動の関わり ②

 本態性高血圧の原因は福大へ移っても尚、モザイク説(多種原因がモザイク様絡み合い説)が学界を風靡していた。医学的には本態不明でも、物理学的には 血圧≒血管容積×血液水嵩量 なので、血管拡張薬や利尿薬で薬理的に降圧出来る筈である。実際にこれが1950年以来、現在まで出回っている全ての各種降圧薬の降圧原理である。降圧さえ出来れば高血圧に伴う脳卒中や心筋梗塞などさえも予防出来る事まで立証(Freisら/ VA Study 1970)されて以来、現在でも“高血圧→薬物治療” の短絡が風習化している。然し服薬を怠ると血圧は直ぐ元に戻る事で自明の様に、降圧薬は解熱薬や鎮咳薬などと同様の対症療法に過ぎず、原因を治しているのではない。

 

 一方、中国の古典(479-300 BC)に「食塩過食は脈を固くする(≒血圧上昇)」と有り、近代でも「本態性高血圧の原因は生活習慣か?」等の論文(Reis,1931)が、私を生活習慣へ誘った。生活習慣の中で食塩の論文は散見されていたが、それ以外、特に運動の論文は稀有な上に、研究方法や結果も幼稚だったので、WHO Bulletinは1883年まで「減塩以外の効果は不明瞭」と断じていた。

 

 福大では8年後に入局してきた大学院生達を迎え、漸く体育学部(現:スポーツ科学部)の進藤宗洋教授・田中宏暁助教授らと運動の共同研究を始めた。先ず運動の強度は福大自慢のニコニコペース(50%強度)で始めたが、念のために75%強度と比較検討した所、やはり全ての指標で50%強度の方が優れていた(松崎ら1992、 田代ら、1993)。それを自転車エルゴメータ運動に応用し、既存の論文で曖昧だった点を正して開始した。結果の第1報をアメリカ心臓学会 (AHA)で発表 (清永ら 1985)した所、WHO Bulletin 1991に紹介されて驚いた。その間、降圧薬の開発で義務付けられている2重盲験法(実薬群と偽薬群への割り付けを、医師・患者の双方を盲にして実施する方法)が、運動では偽運動が不可能なので、次の試験までにその代案を練り続けた。

 

 先ず観察期間から①運動群と並行して非運動群を比較対象群に置き(その両群間の背景因子に差なし)、代わりに全期間中 ②食塩摂取量と、③ 体重 を不変に保つ様に厳重指導して毎週チェックし、違反資料は除外することにした。結果は非運動群に比して、運動群のみ降圧、且それはNE血漿量血中Na/K 比と相関(浦田ら、1987)。これがそっくりWHO・ISH(国際高血圧学会)合同ガイドライン1993に化けたので、直ぐ翌年の米国ガイドライン(JNC1994)を始め、忽ち世界中へ高血圧の運動療法は広まった。

 

 以上の降圧効果を齎した筈の医化学的機序を芋づる式に20年間、追及し続けた結果の総括を以下に要約。

①血中ノルエピネフリンNE(=交感神経活性の指標)(→血管冠拡張作用≒交感神経抑制薬と同作  

 用)。その機序として

 a)血中 PG-E(NE分泌の抑制作用物質)が3倍尿中食塩排泄(清永ら、1985)

 b)血中タウリン(NE分泌の抑制作用物質)が26%血漿NE(田辺ら、1989)

 c)逆にEOLS(NEの増加作用物質)は(古賀ら、1996)

②血圧↓∝血漿量↓・血漿Na/K比↓・赤血球容積↓・血漿NE(浦田ら、1989)。  その脱塩作用機序として

 a)当時新話題のANPやEOLS(共に体液排泄作用物質)は共に(他の脱塩因子によるnegative

   feedbackか?)

 b)上記a)と逆に、尿中ドパミン(脱塩利尿作用物質)、血漿量(木下ら1989)

 c)腎ドパミンの生合成と脱塩利尿作用の機序:運動で使ったエネルギー物質(ATP)の残渣(アデノ

   シン)が、腎酵素を活性化し、生じたドパミンが脱塩利尿作用を来たしていた。よって腎の運動

   性利尿作用機序が解明出来た(堺ら、1996、竹迫ら、2001)。

 

以上、運動の降圧効果を確証し、その作用機序は恰も現在の全ての各種降圧薬の合剤化同然であった。研究に従事した大学院生11名に学位が授与されたが、彼らを現場で直接に指導して戴いたスポーツ科学部、並びに内科の教職員一同の指導の賜物でもある。私の永年の夢も叶えさせて戴いた皆様へ感謝の他ない。

国際高血圧学会名誉会長

福岡大学医学部名誉教授

九州大学医学部卒業

荒川規矩男

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2023.6.10
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【コラム】第1回 私と運動の関わり ①

【コラム】第1回 私と運動の関わり ①

 運動の研究を私は福大就任8年後から始めたが、次第に自分でも運動(特に水泳)に滅入り込んでいったので、人々から「学生時代の部活の続きですか?」などとよく聞かれた。実は私は本来、運動は苦手な上に、郷里(大隅半島の田舎町)には海は勿論、プールも無い時代。せいぜい夏休暇に霧島温泉プールで父に古式の泳法を習った程度であった。小学2年次に日支戦争、6年次には日米戦争も始まった。その頃、健康優良児に選ばれた事が今でも不思議である。

 中学(鹿児島2中)では苦手の体操や軍事教練で鍛えられ、その2科目が何時も私の席次を落とすので運動が益々嫌いになった。3年次の半ばからは学徒動員、4年次の夏に動員先で終戦。結局、小学2年から中学を終える頃までの戦争っ子。

 翌年の高校(旧制/七高)は市内の鶴丸城城址内にあった校舎が戦災で鹿児島市ほぼ全体と共に完全に焼失していたので、出水の海軍航空隊跡のバラック校舎に入学、しかも食糧休暇なるものが頻回に有ったので、授業は辛うじてで、運動など飛んでもなかった。                            

 九大時代の4年間で食料難は次第に解消された。卒業後は医化学の大学院でプロタミン(ボラの睾丸のタンパク質)の化学構造解明の下請けをさせられたが、そのテーマが教室看板の名称(医化学)からは程遠い事に辟易した。当時の日本ではタンパク質の構造解明が焦点だった様で、その中の小さな分子のプロタミンの構造を東大・京大・九大の3施設で競争中であったので仕方なかった。研究の合間に図書室で同じ蛋白・ペプチド分野の近着論文をめくっていると、文字どうり医学の化学論文が泉の様に湧出していて吃驚仰天した。例えば高血圧の病因に関してレニン・アンジオテンシン系(RA系)と言う新昇圧系物質に関する諸論文に度肝を抜かれた。高血圧学は学生時代の講義で僅か5分間位聞いただけだったし、高血圧の重大さすら深刻には認識されていなかったので、同じ蛋白・ペプチドの分野で日米の研究テーマの違いに刮目させられた。そこで私は与えられたテーマの論文を仕上げた後は、一人で勝手にRA系阻害薬の研究を始めた。然し一介の大学院生にそれを許す環境など当時の日本には有り得ない事を悟り、その道の第一線のルツボへ飛び込む事にした。                                 

 留学で溜飲を晴らしての帰国後は内科に入局し、直ぐ関連病院(八幡製鉄病院)に出向したが、2年半後に九大に新設予定の循環器内科の助教授に任命された。早速その道で懸案のヒト・アンジオテンシンに取り組み、約2年間で解明出来たので、益々RA系の研究に没入して行った。然しその頃、全国的な学園紛争が起こり、九大医学部でも、教授会 対 教官会(助教授以下の教官会)と言う対立した会で、私が教官会側の会長に選出された。教授を助けるべき身分に矛盾する狭間で、私はストレス性胃炎を患い、早々に同役員を辞職させて貰った。偶々その頃、若い一人の研究生から和白海水浴場に誘われ、そこで手・足ばかりか全身全霊迄100%完全に縦横無尽に動かせる解放感が、私に生涯忘れ得ぬ心身の爽快感を焼き付けた。学園紛争が漸く収まり始めた頃、福大に医学部が新設されるとの事で、私もその打診を承諾した。赴任2年前頃だったが当時の新聞で、福大体育学部に運動生理の専門家の存在を知り、私は運動の研究を夢見て胸を膨らませ乍ら、益々水泳に凝りだした。

国際高血圧学会名誉会長

福岡大学医学部名誉教授

九州大学医学部卒業

荒川規矩男

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2023.4.10
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【コラム】第3回 女性の自覚症状を考える~女性はデリケート

【コラム】第3回 女性の自覚症状を考える~女性はデリケート

女性が、日常、性器に関して気になる症状は下腹部痛、不正性器出血、おりもの(帯下)、掻痒感などでしょう。これらの原因を考える時に必要な知識をここでお話ししたいと思います。まずは骨盤腔の最深部にある膣・子宮・卵管・卵巣について。

 膣壁は外陰部から続く管腔で、表面は全身の皮膚と同じ重層の扁平上皮で覆われ子宮膣部へと繋がっています。したがって、表面は物理的接触や感染にも強く、しかも常在菌(乳酸菌の一種)により乳酸が産生され強酸性ですので、一般病原菌感染は起こしにくく、これを膣の自浄作用と呼びます。膣粘液の酸っぱい臭いは正常です。子宮は鶏卵大で、膣部・頸部・体部に分かれ、内面は頸管から逆三角形の子宮内腔、そして両側の卵管へと続き、腹腔内へ開口しています。男性の腹腔は閉鎖されていますが、女性は膣から腹腔へ生殖器を通じて穴が開いているようなものです。これはまさに受精のための構造なのです。一方、感染が発生すれば容易に拡大して卵管炎や腹膜炎にまで波及します。卵巣(鳩卵大)は左右の骨盤壁から卵管方向に靱帯でぶら下がっています。したがって、通常は腹壁からそれらの内性器は触れませんので婦人科診察(内診)が必要です。

 排卵機序を理解した上で、この周期性を最も良く把握できるのが基礎体温測定です。婦人体温計で朝、安静時に検温して表にプロットしますと、正常女性は14日周期で低温相と高温相の二相性になります。排卵後高温相になり、下がってくると月経が始まります。この変化は卵胞や子宮内膜の変化と連動していて、体の変化を理解するのに役立ちます。月経の後は低温相ですが、この間に卵巣では卵胞が徐々に発育し、14日目頃に排卵します。卵胞から分泌されるのが卵胞ホルモン(エストロゲン)で、卵胞肥大に伴って分泌が亢進。排卵後、卵胞は黄体化(黄色に変化)して、黄体ホルモン(プロゲステロン)分泌が高まります。両ホルモンは子宮内膜に作用し、排卵までに増殖した内膜は(増殖期)、後者の作用でさらに内膜腺は肥厚して受精・着床に備えます。この変化は妊娠のためですが、受精がなければ黄体は消退して肥厚した子宮内膜は剥離します。これが月経です。排卵後妊娠すれば、黄体はさらに発育して妊娠黄体になりますが、黄体ホルモン分泌もさらに亢進し初期の妊娠を維持します。

 月経時には内膜排出のために子宮は強く収縮し、下腹痛(月経痛)も生じます。排卵に向かって頸管粘液(透明な帯下)が増加するのも精子の運動を高めるのに役立ち、排卵期に下腹痛や少量の出血があるのも関連性を示唆します。当然、外性器である乳房の張りや分泌物の変化もホルモンの乳腺作用です。このような性ホルモンの影響は精神症状にも関係し、排卵後生じる腹痛・頭痛・食欲不振・心悸亢進・精神不穏など、月経前症候群(月経前緊張症)もデリケートな対応と理解が必要になります。

 以上、女性は「強く、複雑で、デリケート」というキーワードで産婦人科医としての思いを綴ってきましたが、日常生活の中で感じられる女性の愁訴も、客観的に判断するためには自身の周期的な体調変化を理解しておくことが必要で、そのためには、基礎体温を測定してみては如何でしょうか。その知識があれば、基礎体温表と症状の関係からその時々の自己診断も可能であると思います。LGBTQなどの性の認識や生殖補助医療なども多様化している現在、まずは基本を理解して受容の判断をする必要があると感じています。

一般社団法人福岡県社会保険医療協会
理事長

特定非営利法人福岡市レクリエーション協会

会長
福岡大学医学部 名誉教授

瓦林達比古

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2023.2.10
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【コラム】 第2回 男と女―女性の生理を理解する ~女性は複雑

【コラム】 第2回 男と女―女性の生理を理解する ~女性は複雑

ここで性差を少し医学的な視点から考えてみたいと思います。まずは受精時に生物学的な性は決定し男女ができますが、分化して行った個体においてはあらゆる面で大きな違いが認められます。

男性はY染色体により精巣が形成されますが、12歳頃には射精(精通)が始まり、女性は同時期に最初の月経(初潮)が発来します。その後、時期が来れば男性は性交により精巣で作られた精子を女性の膣内に射精して、タイミングが良ければ妊娠が成立します。

鞭毛(しっぽ)を持った精子は膣内から子宮頸管・子宮内腔・卵管内腔を泳いで上行し、卵管膨大部で卵巣から排卵されイソギンチャク様の卵管采で捕獲された卵子と受精。そして、受精卵は卵管から子宮腔内に卵管運動により逆行して運ばれ、肥厚した子宮内膜に着床し妊娠が成立します。これからの過程では、胎児の保育器となる子宮が重要な役割を果たしますので、この臓器について触れておきたいと思います。

 子宮は平滑筋の袋であり、内腔は内膜で覆われています。ヒトには3種類(横紋筋・心筋・平滑筋)の筋肉があり、それぞれ臓器を形成していますが、動きの制御は異なり、横紋(骨格)筋は神経系で随意に動きますが、心臓は刺激伝道系、平滑筋には自動能があり不随意筋です。平滑筋臓器は多く、胃や腸などの消化管、膀胱・尿管、気管、血管、そして子宮や卵管などです。

それぞれ機能に応じて収縮・弛緩を繰り返し、食物、尿、空気、血液などを移動させますが、子宮においては胎児、卵管では受精卵です。いわゆる陣痛は出産時の主役の一つですが、実は子宮収縮なのです。この力で胎児は体外へ押し出されます。

妊娠期間はほぼ10か月(280日)ですので、大変長い時間経過で、未妊娠時には50g程(鶏卵大)であったものが、胎児の成長に応じて妊娠末期には1000g程に肥大します。陣痛は妊娠期間中は抑制されていますが、児が成熟すると自然に発来して分娩となります。産後は強く収縮し、一か月もすればほぼ妊娠前のサイズに戻ります。陣痛発来については「潮の満ち干」との関係など、昔から人々の大きな関心事でしたが、子宮は人体では他に見られないダイナミックな臓器なのです。

 子宮や卵管の生殖臓器としての役割は受精、妊娠の維持、分娩ですが、その目的のために、女性には大きな肉体的な変化が生じ、日常生活にも大きな影響を及ぼすことになります。

女性の一生は卵巣機能に依存しており、卵巣では200万個程の再生しない原始卵胞が毎月1個の排卵に300個が準備され、月経1日目には20個に、更に月経5日目に1個の卵胞が選ばれ(優位卵胞)排卵に向かいます。この卵の成熟や排卵のメカニズムは、脳幹の視床下部・下垂体の卵巣刺激ホルモンによって毎月制御され妊娠に備えています。したがって、タイミング良く排卵前後に性交すれば、当然、妊娠の確立は高くなるのです。

卵胞ホルモン(エストロゲン)や黄体ホルモン(プロゲステロン)などの女性ホルモンは子宮内膜にも作用していて、排卵後に内膜は著しく肥厚し、着床の環境を整えています。女性において、排卵される卵子がなくなる時が閉経で、卵巣内の原始卵胞は数万個にまで減少しています。ヒトの一生を考えますと、女性は男性に比し変動幅が大きく、明確な小児期・思春期(初経12歳頃)・性成熟期(妊娠・出産)・更年期・閉経期・老年期があるのです。

一般社団法人福岡県社会保険医療協会 
理事長 

特定非営利法人福岡市レクリエーション協会 

会長 
福岡大学医学部 名誉教授

瓦林達比古

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2022.12.10
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【コラム】 第1回 男と女―女性の生理を理解する ~ 「種のいのち」と染色体―女性は強い ~

【コラム】 第1回 男と女―女性の生理を理解する ~ 「種のいのち」と染色体―女性は強い ~

 近年、わが国では少子高齢化が急速に進行し、総人口も労働力人口も減少していますので、以前よりずっと女性の社会進出が進んで共働きも当たり前、女性の起業家も増えています。さらに、性別による役割分担などの固定観念にとらわれず、誰もが平等で公平に行動できるようにする、ジェンダーフリーの考えが浸透してきました。

 しかしながら、男性と女性には生物学的に大きな違いがあり、生殖(Reproduction:再生)生理学的な意味合いからすれば、親から子へと世代を繋ぐためにはその違いが必須です。多くの動物種に含まれるヒトには、必ず尽きる「個のいのち」と、世代を繋ぐことで維持される「種のいのち」があるのです。種が消滅すれば個は存在しません。この大原則は昔から変わりませんが、わが国では個人の寿命は延びていますが、未来を担う子供の数は激減している、それが少子高齢化なのです。

 私は「団塊の世代」(昭和22~24年)の生まれですが、この3年間に毎年270万人が出生し、約800万人の人口の集団が誕生しました。ところが現在では、2019年から年間出生数は80万人台にまで減少し、少数の若者が多くの老人を支えなければならない超高齢社会が到来しました。少子化の背景には、未婚率の増加や晩婚化がありますが、結婚しても子供を持たない夫婦も増えています。価値観の多様化や経済的な理由も大きいと思いますが、根本的には男女ともに性差と世代を繋ぐ意味の理解不足が関係していると感じています。

 私は産婦人科の医師ですが、毎月定期的に生じる排卵や月経など、自分の心身の変化の背景を理解していない女性の多さに危惧を抱いてきました。これは、わが国の幼少時からの教育に問題があるのかもしれません。男女共に、妊娠・出産・育児における双方の性の違いを医学的かつ客観的に理解し、改めて「種のいのち」や「父性と母性」の意義に思いを馳せる必要があると考えています。

 そこで、まずは染色体から。

 性別は性染色体で決まります。ヒトには23対、46本の染色体があり、44本の常染色体(以下常)が多くの遺伝情報を伝え、X、Yの性染色体(以下性)で性が決定されます。女性は常44本と性X・X、男性はそれぞれ44本とX・Yです。受精は卵子と精子の結合によって成立しますが、配偶子(卵子、精子)の染色体は半分に減数分裂していて、卵子が常22本と性X、精子が常22本と性はXかY。つまり、Xを持った精子とYを持った精子のどちらが偶然に卵子に結合するかで生まれる赤ちゃんの性が決定されるのです。

 Y染色体には精巣決定遺伝子が存在し、形成された精巣から分泌される男性ホルモン(テストステロン)により男性(性染色体XY)に分化し、一方、X精子の受精卵からは卵巣が形成され、分泌される女性ホルモン(エストロゲン・プロゲステロン)によって女性(XX)に分化します。この過程が基本的な性差の始まりです。XはYよりはるかに大きく重く、遺伝情報も多いと思われますので、女性は長命で概して強いのも納得できます。

一般社団法人福岡県社会保険医療協会 
理事長 

特定非営利法人福岡市レクリエーション協会 

会長 
福岡大学医学部 名誉教授

瓦林達比古

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2022.10.10
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【コラム】 第3回 まちづくりって、何だろう ~その3~

【コラム】 第3回 まちづくりって、何だろう ~その3~

 「まちづくり」の近年の傾向として、地域経済の振興(狭義の地域活性化)が強調される機会が増えてきました。60年代の高度経済成長期を経て生じた地域格差からその傾向が強化されていくわけですが、詳細は市川氏の論考(2001) [1] に整理されていますので、関心のある方は読んでみてください。この2001年以降は、さらなる人口減少社会を迎え、第二次安倍内閣により推進された「地方創生」が競争の論理を肉付けし、分かりやすい政策で言うと「ふるさと納税」も、結果的に自治体間の表層的な競争を促してきた(促すことになってしまった)と言えるでしょう。

 一方で、「まちづくり」に地域経済の振興が含意するに至った理由は、市川氏が指摘する文脈だけではありません。例えばそのひとつは「中心市街地のまちづくり」です。職住分離が進んだ1970年代以降、中心市街地の空洞化が進み、商店街の活性化等が模索されていきます。そして1998年に「中心市街地活性化法」が制定され、関連法である「大店立地法」「都市計画法」を含めた3つの法律は、地域に応じた一体的な「まちづくり」に取り組むことを趣旨として「まちづくり三法」と称されることになります。その結果、多様な意味を含むはずの「まちづくり」の「まち」が、中心市街地および都心部に最適化された「街(まち)」を前提に語られる場面が増えてきました。自治体の財政難は、バブル崩壊やリーマンショック等の社会背景が導いた面も確かにありますが、想定可能な人口減少社会への備えを怠り、バブル期のバイアスを引きずりながら正当化してきた、読みの甘い公共事業の反動が大きく影響しています。そうした従来までの(中心市街地に限らない)「まち」の事業マネジメントのオルタナティブを求める姿勢が「街」の論理を拡大させている面もあるのでしょう。一方で「まちづくり」に経営的観点が不可欠なのは自明です。その上で、現場の眼差しをアップデートする必要を感じています。なぜなら、特に現場レベルにおいて、解像度の低い経営概念に市民の存在価値が見過ごされる局面を散見するからです(例えば単純な受益者負担のサービス構造のみが想定され、生活保護をはじめとした公的扶助の意義が共有されないような)。では、これからの「まちづくり」のヒントはどこにあるのでしょう?幾つかの視点はありますが、今回はそのひとつ、「コミュニティ・デザイン」から見出してみましょう。

 近年広がりを見せてきたコミュニティ・デザインの一般的な理解は、Artwords[2]で書かれている内容に沿っている気はします。より正確には、2010年にリノベーションされたマルヤガーデンズ(鹿児島市)での仕事において、山崎氏が「コミュニティ・デザイン」という言葉を用い、今まで取り組んでこられた実践を文脈化し、提起されたことで広がっていったと僕は記憶しています。一方で、ここには触れられていないコミュニティ・デザインの系譜がありますので、今回はそこに着目してみます。

 例えば僕の手元には、1976年に発行された建築雑誌「建築文化 Vol.31」があります。その特集は「コミュニティ・デザイン」です。また、1977年に発行された建築雑誌「PROCESS: Architecture No.3(以下、P.A)」もあります。この特集も「住民参加のコミュニティ・デザイン」です。つまり、前回のコラムで触れた「コミュニティ」が国内に広がる1969年以降に「デザイン」と結びついた概念提起が、1970年代にすでに見られます。ちなみに「建築文化」の「コミュニティ」は、一定の地理的範囲にある居住環境を指し、「デザイン」は物的環境の整備を指す狭義の概念として用いられています。宅地よりも広いスケールの居住環境に対して「コミュニティ」を重ねたものであり、こうした意味付けは前回コラムで紹介した「コミュニティ」に通じる定義であり、建築•都市計画分野では現代でも見られるベーシックな用法です。

 一方、P.A.は、アメリカで60年代から実践されてきたコミュニティ・デザインの特集です。編集を担当した張清獄氏は「デザイン・プロセスの正しい意味、これは建築家やデザイナーの間で常に誤って受け取られている。彼らは自己流にそれを解釈し、『個人的』アプローチということでそれを正当化することが多い。正しい意味のデザイン・プロセスを少しでも理解するために、この特集号ではコミュニティ全体がデザイナーとしてデザイン・プロセスに参加した例を扱っている」とし、さらに建築家であり、アメリカの第3代大統領であるトーマス・ジェファーソンの以下の言葉を引用しています。「社会の最終的な権力、その安全な保管場所としては、大衆以外に私は知らない。もし、大衆が健全な判断力をもって自分たちの力を行使できるほどに啓蒙されていないと思われるなら、その救済方法は大衆の判断力をとりあげてしまうことではなく、彼らの判断力を生かすことである」。45年前に示されたこうした問題提起を、新鮮に感じる人は少なくないはずです。

 1960年前後のアメリカの都市開発は、所得や人種に纏わる差別を含んだものでした。そのアンチテーゼとして、アメリカの都市プランナー:ポール・ダヴィドフらにより「アドボカシー・プランニング」が提唱されます。低所得者層等のマイノリティーの声を聴き(つまり、社会的弱者の意見表明の権利を保障し)、そこを起点にコミュニティと共にかたちづくるプランニングです。そのアドボカシー・プランニングを基調にして展開したデザイン手法こそが、コミュニティ・デザインです。そしてその展開は、日本において「まちづくり」が提起された時期と時を同じくします。本記事は字数が限られていますので、詳細を知りたい方は、ランドルフ・T. ヘスター、土肥 真人(1997)「まちづくりの方法と技術―コミュニティー・デザイン・プライマー」をおすすめします。その表紙には「『公正な世界を創りたいと望んでいる人々』に国境はない」「『まちづくり』に関わろうとする人を励まし、勇気づける本」とあります。つまり、エンパワメントを基調にした「ソーシャル・ワーク(あるいはコミュニティ・オーガニゼーション)」と近しい概念であることに、気づいた人もいるのではないでしょうか。

 「まちづくり」は、本書が書かれた90年代には想像できなかった程、オンライン・コミュニティの浸透と併せて、保健医療や福祉、アート等、市民の暮らしに関わる全ての領域を包摂する概念として用いられています。また、今回は書ききれませんでしたが、70年〜80年代のアメリカにおいて、アドボカシー・プランニングや市民参加が大きく後退していく局面もあります。しかし、多様な様相を帯びている現代だからこそ、コミュニティ・デザイン、ひいては「まちづくり」が目指してきた「コミュニティと共に公正な世界を創る」プリミティブな姿勢を改めて参照することに意味はあるはずです。その上で、現代に蓄積されてきた連帯と共生の叡智を重ねたい、そう思うのです。



[1]           市川虎彦(2001)「まちづくり論の陥穽 : 地域自立の論理から自治体間競争の論理へ」

      松山大学論集 13 (1), 157-175

[2]           Artwords(アートワード)|コミュニティデザイン:https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3

九州大学 専任講師

福祉とデザイン 理事

社会福祉士

田北雅裕 TAKITA Masahiro

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2022.8.10
メールマガジンコラム

【コラム】第2回 まちづくりって、何だろう?  ~その2~

【コラム】第2回 まちづくりって、何だろう?  ~その2~

 「市民の言葉」として多様な意味を有する「まちづくり」は、まずは、相手がどのような意味で用いているかを理解することが肝要です。今回は、学生が市役所の職員とやりとりしたケースから「まちづくり」の捉え方を深めてみたいと思います。

【例1】A市の「まちづくり協議会」を調査したくて「まちづくり推進課」に連絡したら「コミュニティ推進課」が窓口だと教えてもらった。

もうひとつ、似たような例を見てみましょう。

【例2】B市の「協働推進課」の方に町内会の課題を尋ねたら「まちづくりは『地域コミュニティ課』が担当なので、確認してみます」と言われた。

 

 2つのケースとも行政の職員の方であれば腑に落ちるかもしれません。しかし、学生にとっては謎です。

 まず、【例1】の「まちづくり推進課」は、土地区画整理事業や地区計画などを担当している部署でした。「都市建設部」の中の「まちづくり推進課」だったんですね。前回「まちづくり」はそもそも都市計画の分野から拡がった言葉であると紹介しました。その文脈からの「まちづくり」です。大学の研究者でも「まちづくり」を教えている方は、都市計画・開発、公共インフラの整備を専門としている場合が多いです。ディシプリンには学術的な安定性が求められますから、「まちづくり」の現場での意味が多様であったとしても、そういう傾向が強くなるのです。

 【例2】は、さらに分かりにくいかもしれません。協働推進課は、市民活動やNPOとの協働、中間支援等を担当しています。ここでは、こうした営みを「市民団体活動」としておきましょう。「市民団体活動」と「町内会や自治会等の活動(地縁団体活動、としましょう)」が別の部署に分かれていて、かつ、後者を「まちづくり」と呼び慣わしているケースです。こうした背景について、さらに深めてみます。

 2つのケースに共通しているのは「コミュニティ」という言葉です。国内で「コミュニティ」の施策が推進され始めた時代は「まちづくり」が使われ始めた時代と重なっています。つまり、特に「行政」においては「コミュニティ」の活動が概ね「まちづくり」と解される根拠のひとつが、その時代性にもあります。

 「コミュニティ」が国(旧自治省)の施策として提唱されたのは、1969年です。経済優先の国土づくりの結果生じた地域課題に対応すべく、従来から農村部に根付いていた「村落共同体」や都市部に見られた「町内会」等の伝統的な地縁団体と異なる「市民としての自主性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」[1]として「コミュニティ」づくりが目指されました。

 ちなみに「町内会」等は戦前から存在していましたが、戦時中は行政の末端組織として、国家による戦時宣伝(プロパガンダ)を担いました。その結果、戦後、GHQにより結成が禁じられます。しかし、1952年のサンフランシスコ講和条約にてこの政令は失効し、再び「町内会」等が復活することになります。その際、戦時の反省から、行政との分離が図られ、自主的な自治組織としての運営が目指されました。しかし実質的には、行政の末端・補助的機能を併せ持った組織として現在に至ります。

 1969年から展開した「コミュニティ」施策は、1980年代まで活発に続きます。バブル景気にも背中を押され、コミュニティ・センター等のハード整備に一定の成果を残します。しかし、当初目指された「町内会」等に代わる新たな「コミュニティ」が形づくられたかというと、そうでもありません。実質的には、高度経済成長期を経て弱体化した「町内会」等の地縁団体が「コミュニティ」として再編され、地域の「まちづくり主体」として位置付けられたケースが少なくありません。一般的に行政での「コミュニティ推進課」や「地域コミュニティ課」等の部署は、この時期から続く「コミュニティ」施策を下敷きにしています。「まちづくり」という言葉が醸し出す行政の関与と地縁のイメージには、こうした意味合いもあるのです。

 さて、1990年代前半にはバブルが崩壊します。国や自治体の財政が厳しくなる中で、コミュニティ施策もシュリンクしていき、コミュニティ組織の形骸化が見られる一方で「コミュニティ」の役割が、より一層必要な時代となります。そんな中、阪神淡路大震災(1995年)により、地縁を越えたボランティアの意義が見出され、NPO法(1998年)の制定に結実し、「市民団体活動」が拡がっていきます。その後「まちづくり協議会」等により、こうした「市民活動団体」の取り込みが目指されますが、【例2】のように「市民活動団体」と「地縁活動団体」との区別が維持されているケースがほとんどです。

 また、時を同じくしたエポックメイキングな出来事と言えば、インターネットです。インターネットの拡がりは「コミュニティ」にも大きな影響を与えます。従来までは、地縁に関係なく関心でつながる機能的な人間関係は「アソシエーション」あるいは「テーマコミュニティ」と称され、地縁を前提とした「コミュニティ」と区別されていました。しかし、2000年始めくらいからインターネット上で「コミュニティ」という呼称が拡がっていきます。そうした傾向を踏まえ、従来からの「コミュニティ」は、冒頭に「地域」と付して、現代では「地域コミュニティ」と称されるようになりました。 現代における「まちづくり」そして「コミュニティ」の意味は、その後の「新しい公共」や「まちづくり三法」、「地方創生」の展開等にも影響を受けますが、そのあたりは、次回にお話しましょう。


[1]           国民生活審議会調査部会(1969)「コミュニティ〜生活の場における人間性の回復〜」

九州大学 専任講師

福祉とデザイン 理事

社会福祉士

田北雅裕 TAKITA Masahiro

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2022.6.10
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【コラム】第1回 まちづくりって、何だろう?  ~その1~

【コラム】第1回 まちづくりって、何だろう?  ~その1~

 「まちづくり」という言葉は、雑誌「都市問題(1952)」で歴史学者の増田四郎が「町つくり」と記したことが初出と言われています。60年代に入り、近代都市計画に対する反省が世界的になされていく中で、従来の官主導のトップダウンの都市計画手法ではなく、ボトムアップの自治形成、および市民が主体的に関わる計画づくりが目指されていきます。そうして70年代に、革新自治体を中心に「都市計画」に代わる言葉として「まちづくり」が使われ始め、市井に広がっていきました。

 一方で、都市計画における市民へのまなざしは、戦前にすでに見られていました。例えば、都市美運動を牽引した橡内 [1] は、1927年9月の岩手日報で「国の定める『都市計画法』を適用しさえすれば必ず合理的な優良な都市が実現するものと思うのは早計に失する。…やはり、市民諸君の愛市心にまち、真に自己の住む町をよいものにしたいという誠意から、常に世論の形をもって、実行機関を把握しておる当局を鞭撻し、当局もよく市民の声を聴き、あまねく衆知をいれて、一面に欧米都市の進歩せる経営方法を参考とし、他面によく己の都市の民情風土等を斟酌して最も合理的なプランをたてねばならない」と綴っています。さらに、農村における生活改善運動や部落解放運動等、都市計画とは別文脈においてもボトムアップの「まちづくり」に連なる潮流が、確認できます。

 そうした流れが70年代以降に「まちづくり」として束ねられていった背景には、戦後の急激な環境変化を経て高度経済成長期を経験した日本において、「公害」に代表されるように、市民の身近な暮らしが蔑ろにされる事態が生じたことが大きく影響しています。世界的にもベトナム戦争の反戦運動等が顕在し、市民が自ら声を上げる機運を後押ししていきます。また、地域開発のあり方に疑義を唱えたシューマッハーが「Small Is Beautiful(1973)」を著したのもこの時期です。氏が提唱した「内発的発展」や「地域主義」に連なる思想は、過疎地の活性化を目指した「村おこし」等にも強い影響を与えます。都市部においては、旧来の町内会等に代わる小学校区を単位とした「コミュニティづくり」が模索されていき、そうした制度や運動に背中を押されるかたちで「まちづくり」の概念が形づくられていきました。

 その後「まちづくり」は、さらに多様な様相を帯び、結果的に現在は、都市計画分野だけでなく、保健医療・福祉・観光等、市民の暮らしに関わる全ての領域を包含し、多主体で協働しながら身近な暮らしの課題を改善していく概念として用いられています。平仮名による「まちづくり」は、海外で Machizukuri と称されるように、多様な解釈を促しながら日本独自の概念として昇華しました。今となっては定義すら困難である「まちづくり」は、その解釈が市民に委ねられているという意味において、まさに「市民の言葉」として生き続けていると言えるでしょう。


[1]       中島直人他(2001)「都市美運動家・橡内吉胤に関する研究」都市計画論文集Vol.36

   参考:日本建築学会(2004)「まちづくりの方法」丸善株式会社

九州大学 専任講師

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田北雅裕 TAKITA Masahiro

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